恋人がプロデューサーになるとき

【人気記事】麻倉まりなが居酒屋店員として自作の曲を歌う姿に『銀河鉄道999』を思い出す

 新人の発掘は、プロデューサーの大事な仕事だ。その点、小室哲哉が華原朋美を見出したエピソードほど劇的なものもアイドル史上まれだろう。

 ある日たまたまテレビを見ていた小室哲哉は、当時遠峯ありさの芸名でグラビアなどの活動をしていた華原に一目惚れし、わざわざ番組スタッフに頼んで対面を果たす。そこから二人の交際は始まった。

 そのとき見ていた番組というのはフジテレビで放送されていた『天使のU.B.U.G』。売れていないアイドルたちが多数出演、体を張ったゲームや過酷なロケに毎回挑むバラエティである。遠峯ありさはそのなかのひとりだった。深夜1時台の放送で、よほどのアイドル好きでなければ見ないような番組である。小室はその“よほどのアイドル好き”だったことになる。

 TM NETWORKとしての活動のかたわら、小室哲哉は1980年代から岡田有希子や荻野目洋子をはじめ女性アイドルに多くの楽曲を提供していた。そして1994年には当時東京パフォーマンスドールのメンバーだった篠原涼子をプロデュースした「恋しさと せつなさと 心強さと」がダブルミリオンを記録する大ヒット。そのあたりから「小室ファミリー」と呼ばれる歌手たちのプロデューサーとして一躍世間にその名を知られるようになる。

 そんな頃テレビで出会ったのが遠峯ありさだった。順番はあくまで好きになったのが先で、歌手としてプロデュースしたのはその後である。二人の交際が発覚した際、週刊誌の記者に「歌手を恋人にしたのではなく、恋人を歌手にしただけ」というような発言をしたという話は有名だろう。1995年の歌手デビューの際に付けた「華原朋美」という芸名も、一部本名に変えつつイニシャルを二人で同じにするという、ある意味“公私混同”の極みだった。

 しかし、そこにはアイドルとプロデューサーの関係の本質がわかりやすく露呈してもいる。プロデューサーは、なによりもまずそのアイドルのファンでなければならない、ということである。「I BELIEVE」や「I’m proud」を聴いたときの感動は、華原朋美の持つ天性の歌声の素晴らしさももちろんあるが、楽曲に込められた彼女に対する小室哲哉の掛け値なしの愛情なしにはあり得ないものだったように思える。

 小室は1958年生まれ。最初に書いた『よい子の歌謡曲』のような雑誌をつくりアイドル批評を始めたファンと同世代である。その当時のファンの多くも、アイドルを好きになるきっかけはテレビだったはずだ。まさに小室哲哉は、プロデューサーはアイドルファンの進化した姿であることを、自らの身をもって示したのである。

【関連記事】

・佐藤聖羅「たわわなお姉さん」元SKE48のGカップボディ【写真9枚】

・三田寛子「未来の人間国宝」の嫁は80年代最大の勝ち組!?

・指原莉乃「HKT48を卒業します」突然の発表に衝撃走る!【写真16枚】

・欅坂46菅井友香、高畑充季、葉加瀬マイほか、芸能界の“お嬢様”アイドルたち

・樹智子「過激すぎる」元G☆Girlsが1stDVDで大開脚!【写真6枚】