●『ASAYAN』と「箱推し」の起源

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 「夢のオーディションバラエティー」と銘打ったテレビ東京『ASAYAN』がスタートしたのが1995年10月のことである。オーディションコーナー「コムロギャルソン」では小室哲哉がプロデューサーとなり、鈴木あみ(鈴木亜美)らが輩出した。

 そうしたなか、1997年4月「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」が始まった。応募者はおよそ9,900名。書類審査から何度かに及ぶ歌の審査、そして最後は最終審査に残った11名による寺での合宿と歌唱審査があった。そのオーディションの模様は、『スター誕生!』と同様逐一放送された。

 そして同年9月、平家みちよ(平家充代)が優勝者に決定する。ところが、つんくが最終選考で残ったうちの5名でグループをつくると発表。ただしそれには、インディーズでのデビューシングルを5日間で5万枚売り切ればという厳しい条件がついていた。しかしメンバーは全国各地で自ら手売りをして見事目標を達成、メジャーデビューが決定した。これがモーニング娘。の始まりである。

 繰り返すまでもないほど有名な話である。だが、いま改めて振り返ってみるとプロデューサー・つんく(「♂」を付けるようになったのは2001年から)の発言権の大きさが印象的だ。

 昭和のオーディション番組では、複数の審査員がいるのが基本だった。そのなかには『スター誕生!』の阿久悠のように発言権の強いひともいたに違いないが、少なくともひとりですべてを決めるかたちにはなっていなかった。

 それに対して『ASAYAN』では、つんくひとりがすべてを決定する。審査しながら時には楽しそうにしていたり、真剣な表情をしていたりするつんくの姿をカメラは映し出す。そして関西弁かつ独特の感覚的表現でコメントを加え、合格者を決める。要するに、『ASAYAN』の主役はつんくそのひとでもあった。

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