■リアルなフィクション

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 この『あまちゃん』というドラマから感じるのは、アイドルもまた同じパワーを秘めた一種のフィクションのような存在なのではないかということだ。ドキュメンタリー的なリアリティをアイドルに求めることにいつのまにか慣れ過ぎた平成の私たちは、そのことを忘れていたように思う。

 アイドルは昭和のようにテレビの向こう側の手の届かない存在に戻るべきだとここで言いたいわけではない。もはやテレビのなかだけのひとに戻ることは、現実的な話ではない。リアルであることを運命づけられた平成のアイドルに求められるもの、それは同じフィクションはフィクションでも“リアルなフィクション”だろう。

 欅坂46は、その“リアルなフィクション”の可能性を意識的、方法論的に追求しているように見える。

 たとえば、彼女たちに対する「演劇的」という評は、そのあたりを指したものだろう。それは、歌とダンスにとどまらず、ダンスフォーメーションやステージ・映像演出、さらにはストーリー性などトータルに構築された表現のかたちでメッセージを伝えようとするものだ。メッセージと表現の一体化、それが欅坂46の演劇的方法論であり、彼女たちが“リアルなフィクション”の主体だということである。

 最新シングル『黒い羊』のMVは、まさにそのことを感じさせる。

 黒い羊とは迫害の対象であり、白い羊たちの群れである集団や世間に馴染めず苦悩する存在だ。この曲の黒い羊は、「そうだ 僕だけがいなくなればいいんだ」と自分の存在自体を消そうとまで思い悩む。だが激しく葛藤しながらも、「僕」は必死に前を向く。「白い羊なんて僕は絶対になりたくないんだ」「そうなった瞬間に僕は僕でなくなってしまうよ」。そして、なにがあろうと「ここで悪目立ちしてよう」と「僕」は誓う。

 MVでは、平手友梨奈がこの「僕」となり、がらんとしたビルのなかを曲とともに移動していく。誰かが自殺したと思しき現場、警察、学校、家庭、幼い自分との対面……。それぞれの場所で繰り広げられるシーンは、「僕」のそれまでの人生、心象風景を思わせる。象徴的、時に幻想的であり、各メンバーの役への入り込みかた、緻密に設計されたダンスフォーメーション、陰影を帯びたライティングなどまさに演劇的だ。

 そこから伝わってくるのは、「この世界はなぜこれほど生きづらいのか?」という悲痛な叫びだ。欅坂46は息苦しそうにもがきながら、ずっとそう問い続けている。しかしそうしなければ、出口は見つからないこともわかっている。『あまちゃん』の天野アキが、本来は息苦しいはずの海のなかに深く潜ることで逆に救われ、自分の居場所を見つけたように。

 つまり平成に生きる私たちは、古き良き過去が失われてしまったことを嘆くのではなく、いまの自分たちにふさわしい未来をつくらなければといまようやく思い始めたのではないか。それがこの連載で欅坂46を取り上げた際、最後に書いた「時代はいま一巡りしようとしている」という言葉の意味でもある。

 ただ、ここで私は欅坂46を救世主のように崇めたいわけではない。もちろん他のアイドルとはひと味もふた味も違うパフォーマンスには目を見張るものがある。だがだからと言って、アイドルはすべて欅坂46を目指せということにはならない。

 もう一方の側には、たとえば同じ坂道シリーズの乃木坂46がいる。彼女たちには昭和を思い起こさせるという声もある。AKB48グループと比べても、ファンとのあいだに一定の距離感が保たれている。それがある種の高嶺の花的な感じを抱かせることになり、彼女たちに「清純派」の印象を抱くひとも少なくない。

 しかし、前回生駒里奈や齋藤飛鳥と「学校」の関係について書いたように、乃木坂46というグループもまた、「いま」という時代のリアリティのなかに存在している。彼女たちに「清純派」という呼び名がふさわしいとすれば、それは現実離れした純潔さというよりも、自分の生きるべき道をただ真っ直ぐに求める純粋さがあるからだろう。それもまた、“リアルなフィクション”のひとつのかたちだ。

 2013年3月発売の『君の名は希望』。乃木坂46にとって5枚目のシングルであるとともに、デビューからずっとそうだった生駒里奈の最後のセンター曲でもある。

 ここでも登場するのは、「僕」だ。「僕」は「透明人間」と呼ばれるほど孤独な存在である。だがある日、こちらに転がって来たボールを偶然拾ったことで、「僕」は「君」と出会う。そしてその瞬間から「僕」は「恋」をし、生きることの幸福を見出す。「土のその上に そう確かに僕はいた」。生きていく確かな場所を「僕」は発見したのである。

 それは、「好きな人が 優しかった」だけで喜びを感じ、「PEACE!」と叫ぶ『ザ☆ピ~ス!』の主人公と本質的に同じに思える。自分を認めてくれる誰かがいて、ただそこに存在していいと思える日常の尊さ。それは、前回ふれたように現実の学校には得られなかった居場所を乃木坂46のなかに見つけた生駒里奈の軌跡にも重なる。

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