
社会学者・太田省一×アイドル評論家・中森明夫対談 1/14
今年、『平成アイドル水滸伝〜宮沢りえから欅坂46まで〜』(双葉社)を上辞した社会学者・著述家の太田省一氏が、「おたく」という言葉の生みの親であり、80年代よりアイドルを批評し続けてきたアイドル評論家・作家の中森明夫氏を迎え、平成のアイドルについて激論を展開。
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アイドル批評の分野で2大論客ともいえる両者が、この30年間のアイドルシーンをアカデミックに分析する。昭和からのアイドルマニア、アイドル史を詳しく理解したい平成アイドルファン、どちらも必読だ。
■アイドルがテレビから消えた時代にライブアイドルが生まれた
──太田先生の『平成アイドル水滸伝』には、冒頭に2つの前提が記されています。1つは「平成アイドルがホームレスとして始まった」、それからもう1つは、「“アイドル冬の時代”とは言わない」。昭和、平成とアイドルを俯瞰し続けて来られたお2人に、まずは、そのあたりからお話いただければと思います。
太田 その2つの前提というのは、根本的につながっているんです。“冬の時代”っていうのは、アイドル史を語る際にずっと言われてきたことで、僕もそれを受け止めていました。確かに、おニャン子クラブが解散してから、その後もWinkあたりはいるにはいましたが、モーニング娘。がドカ~ンと売れるまでは、“女性アイドル歌手というものをあまり見なくなった”という感覚はありましたよね。
まあ、そういう観点では“冬の時代”なんですけども、一方で、その時代でもライブアイドル的な存在がいた訳です。代表的な存在として東京パフォーマンスドール(*1)がいて……中森さんの方がよく御存じかと思いますが、ほかにもいろいろといた。そうした意味で、“冬の時代”ではなかったんじゃないかということですね。
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