
社会学者・太田省一×アイドル評論家・中森明夫対談 3/14
今年、『平成アイドル水滸伝〜宮沢りえから欅坂46まで〜』(双葉社)を上辞した社会学者・著述家の太田省一氏が、「おたく」という言葉の生みの親であり、80年代よりアイドルを批評し続けてきたアイドル評論家・作家の中森明夫氏を迎え、平成のアイドルについて激論を展開。
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アイドル批評の分野で2大論客ともいえる両者が、この30年間のアイドルシーンをアカデミックに分析する。昭和からのアイドルマニア、アイドル史を詳しく理解したい平成アイドルファン、どちらも必読だ。
■昭和に生まれ、時代の変わり目を泳いでいった宮沢りえ
中森 僕は20代からずっとライターをやっていて、アイドルに関与する、アイドル側に立つということが度々あったので、個人的にはその視点でも『平成アイドル水滸伝』は面白かったですね。
たとえば、「3M(*1)」というのが出てきますね。3Mというのは僕が考えて、宮沢りえのお母さんに怒られたんです。「一緒にすんな」と。
『週刊SPA!』(扶桑社)の「ニュースな女たち」という連載の牧瀬里穂の回だったかな? そこに最初に書いたんです。宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさと、苗字のイニシャルが同じだったというのと、団塊ジュニア世代だったとか、少女雑誌のモデルから出てきてCMで売れたとか、そういうこじつけでね。
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