──そんな広末涼子ですが、平成期では数少ない歌手としても一定の成功を収めたソロのアイドルですよね。
中森 広末というのはホントに異性、つまり男の子に人気がありましたからね。あの、ちょっと話が飛びますが、今の若い子に薬師丸ひろ子の人気がいかに凄かったかという話をしても、理解してもらえないんですよね。
『セーラー服と機関銃』が公開されて、大阪の映画館で舞台挨拶をやるとなったときに、梅田の街中が人でいっぱいになって、機動隊が出動したとか。それで、舞台挨拶どころか、映画の上映も中止になったとか。東京に帰ろうとしたけど、伊丹空港も新大阪駅も人が殺到して身動きがとれなくなって、結局、クルマで名古屋まで戻ったとか。そして、大阪府警から、「以後、許可なく大阪に立ち入らないように」と言われた……みたいなね。
──薬師丸ひろ子にベテラン女優の印象しか持っていない今の若者には、そんな話は想像できないでしょうね。
中森 まあ、広末はそこまではないですけどね。彼女は中学生の時に『20世紀ノスタルジア』(97年)という映画の主演に抜擢されたんですが、撮影の途中で売れたので、作品の完成が遅れたんですね。だから、作品を観ると途中で顔が変わっているんです。成長しているんです。
その映画がようやく完成して、テアトル新宿(*2)という映画館で公開されたんですが、千人単位の人が集まって。靖国通りがいっぱいになったんです。警察が出動してね。あのときは“久し振りにこういうことが起こったな”と思いました。だから、もし、写真週刊誌も携帯電話もない昭和の時代だったら、その人気をもうちょっと維持できたかもしれないと思いますね。
*1 3M
モデル、CM出演、女優活動を歴て、歌手としてデビューした宮沢りえ(89年)、牧瀬里穂(91年)、観月ありさ(91年)の3名の総称。ただし、事務所もレコード会社も異なるため、この3名が揃って活動することはなく、共演することもほぼ皆無だった。牧瀬里穂は歌手活動に消極的にすぐに撤退。宮沢りえも数年で歌手業からはフェイドアウト。最後まで積極的に歌っていたのは、観月ありさだった。
*2 テアトル新宿
新宿三丁目にある客席数200強のミニシアター。広末涼子初主演映画『20世紀ノスタルジア』は、メジャーな映画館での上映はなく、いわゆる“単館系”だった。なお、当時はまだ現在のような大型シネコンは国内にはほとんど存在していなかった。
(取材・文=ミゾロギ・ダイスケ)
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