――その頃、東京のことはどう見えていました?

 東京は本当に、なんていうんですかねぇ……。地方のアイドルは東京遠征を目標としているというか、「東京のライブに出たい!」「東京遠征したい!」っていう一心で頑張るんですけど……。東京のアイドルってそれこそ「TIFに出たい」とか「大きい箱でワンマンしたい」とかっていうのが目標じゃないですか?

 私が大分でやってる頃はとにかく「東京に行きたい!」だったので。やっぱり地方と東京じゃ目指す場所が全然違うから、私はその2人組をやっている途中で「やっぱり東京で活動したほうが早いんじゃないかな」という風に思って。そのためにバイトをたくさんやって、たまにライブも出て……、高校2~3年生はそんな感じでずっとやってましたね。

――実際に上京したのは高校卒業と同時ですか?

 卒業してからですね。卒業してすぐみたいな感じです。

――上京するときに事務所のアテはあったんですか?

 その頃はソロでMCやライブをやったり、「踊ってみた」とかを細々とやっているときだったんですけど、詩菜(うたな)先生っていうハロプロのボイストレーニングをされていた方がいて、その方がはっぴっぴ(JAPANARIZMの前身ユニット)を立ち上げるときに良い子を探していたみたいで、なぜか分からないんですけどTwitterで私にDMが届いたんですよ!

 私はハロプロのボイストレーニングをされていたのを知っていたので「え!? スゴい人から声かかったべ!」と思ってその日にすぐ返事も返しました。なのでスカウトですね。

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