思えば、川村や嘉門(学年は一つ上)と同い年の優香も本来は池袋系のギャルだったというのはいまとなっては懐かしい話。その後、2000年代に入ってブレイクした山本梓なども川村同様、『Cawaii!』(主婦の友社)などギャル雑誌モデルとしても並行して活動しており、脈々とその流れは受け継がれていったといえる(なお、ブレイク後、金髪ヘア&渋谷系ギャルファッションの写真が流出した小倉優子をギャルと位置づけるのは無理があり、一時の若気のいたりと断じるのが正解だろう。若槻千夏などもデビュー時は「渋谷にはほとんど行ったことがない」と語っており、人気グラドルの地位を経てギャル化していったというのが妥当な見方)。
「2000年代のギャルグラの流れを考える場合、大きな存在が大手・プラチナムプロダクションの面々。2003年ミスヤンマガグランプリの岩佐真悠子、ギャル雑誌出身でトリンプガールに選ばれた工藤友美、同じくトリンプガール選出の石田裕子、日テレジェニック選出の木口亜矢、三愛イメージガールに選ばれた佐藤麻紗、木下優樹菜、菜々緒あたりの流れ、“ギャル女王”の名をほしいままにしている遠山茜子などは、ギャルグラの確かな潮流を物語っていますよね」(ニイゼキ氏)
ちなみに同事務所の都丸紗也華はヤンキー&ギャル系のウリでブレイクした感もあるが、「(学生時代)学校のギャルな子には馴染めなかった」などと語っており、微妙に出自(笑)は異なるといえそう。一方、三愛イメージガールの初代といえばくだんの山本梓であり、その後の2010年代選出の久松郁実や朝比奈彩らに連なる流れは、プラチナム同様、確かにギャル系グラドルの一潮流と呼んでいいかもしれない。
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